高北謙一郎の「物語の種」

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ミュージアム


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そういえぼ昨日の角川武蔵野ミュージアムには、本ではない、別の展示もあった。

 

上のヤツ、なにやら塩で出来ているらしい。

たまたま奥さまと観て回っている時、近くを歩いていた関係者と思しきひとが話していた。

 

見てのとおり、最後の晩餐がモチーフになっている。まぁ、それも歩いていたひとが話していたのだが…

 

最後の晩餐。

 

このタイトルをつけた人物はたぶん天才だ。

 

タイトルだけでここまで想像力を掻き立てることが出来る作品は、そうそうあるものではない。

 

単純に、個人的な「最後の晩餐」から、人類滅亡前夜の「最後の晩餐」まで、実に幅広く、バリエーション豊かに想いを巡らせることが出来る。

 

ただ、よくある「最後の晩餐には何を食べたいか」という問にかんしては、実はあまり思い浮かばない。カレーだっていいしハンバーグだっていい。ラーメンだって、美味ければかまわない。

 

どちらかといえば、本当に考えなければいけないのは、「最後の晩餐は誰と食べるのか」…ソチラの方が遥かに重要な気がする。

 

これはけっこう難しい問題だ。

 

何が問題かといえば、相手がいる以上、相手もまた、私との「最後の晩餐」を望んでくれなければならないのだ。

 

これって、かなり難しい…

 

どこまで我を通していいものか、悩む。

 

もし相手が自分の両親や兄弟、親友を選んだ場合、私はそれを拒むことが出来るのか…

 

いや、何も悩むことはない。相手の両親も兄弟も親友も、すべて呼んでしまえばいいのだ。

 

しかし、事が重要なだけに、声をかけられた側は断りにくいだろう。もしかしたら、本当はほかの誰かとの「最後の晩餐」を望んでいたかもしれない。

 

 

そう、迂闊には、声をかけにくいのだ。

 

 

 

…ほら、スゴい色んなこと、想像できる。

 

 

今回の展示は、塩ということもあって、完全なる無色。それがまた想像を膨らます効果を持っていたように思う。

 

広大なスペースのほんの1画を占めているだけの展示ではあったが、個人的にはなかなか有意義な鑑賞となった。

 

 

はい、それでは皆さま、お疲れさまでした。