止まっているエスカレーター - 高北謙一郎の「物語の種」

先日、ぐうぜん駅のエスカレーターが止まっていた。

改札を抜けてホームまでの上りのエスカレーターだ。

とはいえ、まだ止まったばかりだったのかこれといった注意書もなく、立ち入りを禁じているわけでもなかった。

そもそも私は第一歩を踏み込む直前まで止まっていることに気づいてもいなかった。

エスカレーターは止まっていればただの階段。なんて、まるで飛ばない豚はただの豚。みたいな言い方だが、実際そう思うはずだ。繰り返す。エスカレーターは、止まっていればただの階段。

ところが、これが驚くべきことに…

すでに第一歩を踏み込むべく右足を宙に浮かせていたとはいえ、私はその時点でもうエスカレーターが止まっていることに気づいていた。そして、「ああ、止まっているならただの階段と思ってのぼれば良いや」と、すぐにそこまで考えていたのだ。にもかかわらず…

私は、つまづいた。

私はつまづいたのだ。

我ながら驚いた。頭では分かっているのに、身体が追いついていない。いつもの感じでエスカレーターは動くもの、との認識があるのか、踏み込み方が微妙に違うらしい。

前後には他のお客さんの姿も。

こういった時、笑ってごまかすことのできない私は、いかにも何事もなかったかのように階段と化したエスカレーターをのぼった。

１歩目さえ乗り切ってしまえばやはり階段と変わらない。別に普通に進むことができた。ところが、

ところがだ。

最後にエスカレーターからおりる時、私はふたたび、つまづいた。

その瞬間のことは、今でも映像として想い描くことができる。手摺として掴んでいたベルトのことだ。いつもの、動いている感じと、あれをグイと掴んでエスカレーターからおりる感じ、それが頭の中に日常的な光景として見えていたのだ。

だから、実際には止まっているエスカレーターからおりた時、私はふたたびつまづいたのだ。

人間の記憶とは不思議なものである。脳だけではなく、身体もまた記憶力を持っている。

と、カッコよさげに書いてはいるが、私がふたたび何事もなかったかのように駅のホームをツカツカと歩き去ったのは言うまでもない。

それにしても、エスカレーターって調べてみると色々あるのね。世界一長いエスカレーターやら短いエスカレーターやら、らせん形だったり…歴史とともにツクリも変わってきていたり…それでも敢えて言っておこう。

どんな種類でも、エスカレーターは止まっていればただの階段だ。