高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

東京ジャーミィ

そういえば、わりと前のことになってしまうのだが、代々木上原の駅を降りて迷うこと十数分の場所(どこか分からない)にあるトルコ文化センター、その名も東京ジャーミィに遊びに行ったことがある。

 

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有名な礼拝堂の天井


国内に居ながらにしてトルコ旅行の気分を味わえる

 

…なんて宣伝文句を何処かで目にした私は、それなら写真を撮りに行ってみよう! 

と、トルコが地球の何処らへんに位置するのかもよく分からないままに代々木上原に。

 

で、東京ジャーミィが代々木上原の何処らへんに位置するのかもよく分からないままに歩き始め、案の定、道に迷ったわけである。

 

 

そもそも「東京ジャーミィ」とはなんぞや?

 

「ジャーミィ」とは「モスク」のことなり。

 

といわれても、正直よく分からない。で、Wikipediaで調べてみると「人が集まる場所」を意味するアラビア語、とのこと。

まぁ要するに大きな礼拝堂みたいな場所ってことで、良いですかね? 良いってことにしよう。正確な情報が知りたい方は、「東京ジャーミィ」で検索ねがいたい(いい加減)。

 

東京ジャーミイ モスク » 東京ジャーミイ・トルコ文化センター

 

でも実際のところ、異国のことってほとんど伝わってこないような気がするのだ。

 

この情報社会だ、きちんと興味を持ってアンテナを張っている方は、いくらでも知り得ることなのかもしれないが、誰でも最初から興味を持っているわけではない。

 

だが、興味がない=拒絶、でもない。

なので、せっかくだからと迷子になりながらも訪れた。それがココ。

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礼拝堂

写真、すっ飛ばし過ぎてるな。

建物外観の全体像とか入り口の扉とか、もっとたくさん載せられればいいのだろうが…

どうにもね、情報をお伝えしよう、との意図で写真を撮りに行くことがあまりなく、自分の気に入った場所でひたすら気に入ったカットが撮れるまで粘る、という感じなんで、あまりガイドとしては役立ちません。

 

 

だけど、扉を開けるとたしかに異国情緒たっぷり。そもそも、日本にこんなたくさんのイスラム系のひとたちがいたのか、というぐらい沢山いらっしゃる。

 

半分ビビりながら、いそいそと礼拝堂を目指す。階段をのぼって2階。いったん外というか広いテラスのような場所に出て、そこから中に入る。入るとき、靴も脱がなければならない。そのへん、すこし仏教に似ている。

 

入った瞬間、これまでとは違う神聖な空気がハッキリと感じられた。礼拝堂。誰もが祈りの場として認識できるだけの神聖さが、そこにはあった。

 

なんだかスゴい。

なんだかスゴいという言葉で片づけてしまうのも申し訳ないが、あまり軽々しく言葉にしてはいけない何か、そんなものを感じる。

 

 

 

だが、それでもひとつ、思うことがある。

コレ、どんな宗教でも同じだと思いませんか? 

 

仏教もキリスト教イスラム教も、祈りの場は等しく祈りの場としての空気を持っているよね。

 

何が言いたいのかっていうと、どんな宗教もそれに向き合うヒトたちの真摯な気持ちは同じ。歴史や文化や価値観の違いはあれど、宗教そのものの根本、神を信じる敬虔な想いは同じ。だから争い事はやめましょうよ、と。そんな世界平和を訴えてみたくなったわけだ。私自身は無神論者にもかかわらず。

 

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埼玉県大宮市の氷川神社

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クロアチア、スプリットの教会

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東京ジャーミィ



たまたま写真を整理していたら3つの場所が出揃ったのだが、

考えてみればこれらを並べて見ることってあんまりないよね。

並べることで、相違点だけではなく共通点もある、ということが伝わるといいのだが…。

他人との違いばかりにとらわれず、共通する部分もあると知る。それって大事なことかな、と。

そんなことを思った次第。

 

おぉ、なんか今日はカッコいいぞ。

 

 

なにはともあれ、写真展とか、何か企画できるかもしれませんな。個人でやるというよりは、みんなの作品をまとめる感じとかで。

そのうちやってみようかな。