高北謙一郎の「物語の種」

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二重奏

今日が久々にさむい1日だったからか、ふと「二重奏」が聴きたくなった。

 

二重奏

二重奏

 

 2016年、晩秋の北海道にて録音された、ベースの金澤英明とピアノの栗林すみれによるデュオアルバム。

 

なんて、ちょっと気取ったライナーノーツ風に始めてみたが、もともとこのアルバムが大好きなもんで、久々に引っ張り出して聴いてみたくなったのだ。

 

 

それにしても、ピアノとベースのデュオ。

 

初めてジャズやクラシックのアルバムを購入した時、スカスカの空白に戸惑った。

それ以前に聴いていたロックやポピュラーミュージックは、全編通して音で埋め尽くされていた。それに比べて、なんて隙間だらけの音楽なんだ! というのが第一印象。

 

正直ちょっとソンした、なんて思ったりもしたもんだ。

 

しかし、いまや私は大の空白好きだ。

 

分からないものである。

 

 

サテ、このアルバムもまた、心地いい隙間がイッパイだ。

ふたりとも、弾きすぎない。響きの余韻。音の隙間。

そのことで伝わってくる空気感がスバラシイ。

 

「北海道の空気を閉じ込めた」なんてことをベースの金澤氏がおっしゃっていたそうだが(本物のライナーノーツより)、言い得て妙というか、ホントその時の情景みたいなものが伝わってくる。

 

 

 

デュオってやつは、不思議な音楽を創り出す。

3人以上があつまると音楽は推進力を得る。全員が同じ方向を向いていないと成立しないところがある。けれど2人だとどうか? 2人は向かい合っている。終着点を見ていない。会話と同じ。取り留めもないし、そもそも終わりを想定なんてしていない。

では、1人だと?

これがまた面白いことに、1人だとキチンと終わりを見据えている。いかに内省的な演奏に終始しようとも、終わりはキチンと分かっている。

 

これがデュオの不思議なところ。

 

だと、個人的には思っている。

 

 

 

なんて、また気取ったライナーノーツみたいなことを書いちまった。

ライナーノーツ、書きたい…。

いやいや、そんな自分の願望はともかくとして。

 

何はともあれ、

いいなぁ、これ。

 

こんなに「映像が視える」演奏もめずらしいんじゃないのかな。

 

親子ほど歳の離れた2人だけど、いっそ雪合戦でもしている映像でもつけてくれたらよかったのに。とか勝手に想像しながらニヤニヤしている。

そんな2人の、はしゃいだ様子が伝わってくるアルバムだ。

 

 

曲はスタンダードとそれぞれのオリジナルが配分よく並んでいる。

私は1曲目、オーネット・コールマン作曲の「メアリー・ハートマン、メアリー・ハートマン」がお気に入りだ。

特に、なぜここで? というエンディングが変なクセになっている。

 

 

Mary Hartman, Mary Hartman

Mary Hartman, Mary Hartman

  • 金澤英明 栗林すみれ
  • ジャズ
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

 

いやはや、書き進めてしまったよ、こんなところまで。

しかも今日ふたつ目の投稿。書きすぎだろう、ワタシ。

 

私は決して音楽の専門家ではない。ピアノは少々弾いていたことはあるが、別に上手くない。ただのジャズ好きが勝手な妄想のままに書き進めてみただけである。

専門家の皆さん、どうかおおらかな気持ちでお願いいたします。

ちょっと、専門家という響きにはビビっているので。

 

それでは。