高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

掌編 うつろい 高北謙一郎

さて、このブログを始めた時、

noteでは作品を中心に投稿、hatenaでは完全な雑記ブログにする、

という住み分けを決めていたのだが、今回に関してはこちらのブログでも投稿させていただく。ふだんとは文体も語り口も違うので戸惑うかもしれないが、まぁいちおう真面目モードの高北も、少しはこちらでもご紹介しておこうかな、と。

 

 

あとね、noteは写真とテキストを同時に投稿できない(表紙にあたる1枚はできる)。今回は先日撮影した紅葉写真から想像を膨らませて書き下ろした作品なので、できれば複数の写真を合わせて載せたかった。

 

いつもより遥かに長くなるので、気分のノッた時にでも。

それでは、よろしくお願いします!

 

 

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【うつろい】      高北謙一郎

 

 

ある秋の晴れた日に、彼女に出逢った。

うつくしい紅葉が色づく日本庭園で、ぼくは穏やかな午後を過ごしていた。

首からカメラをぶら下げたままに、のんびり辺りを散策する。時おり気が向くままにファインダーを覗き込み、シャッターを切った。仕事で撮影するのとはちがい、気楽なスナップだ。荷物もいつものような重装備ではない。足取りも軽やかに、庭園をめぐった。

 

紅葉はまさに見頃といったところで、どこを切り取っても素晴らしい絵になった。黄金に色づく落ち葉の絨毯、頭上を覆い尽くすかのような紅いもみじ、青い空を映し込んだ池には、まるで季節の移り変わりを体現したかのような、紅い鯉が泳いでいた。


悪い癖だと思う。そもそも休みの日までカメラを持ち歩くことがまちがっている。最初は散歩の途中でカメラを構えていただけのものが、いつしかカメラを手にしていることの方が多くなった。知らぬ間に、ぼくは夢中になって写真を撮っていた。

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異変に気づいたのは、ファインダーの中の景色が、サッと暗くなった時だった。これまで快晴だった空が、にわかに黒い雲に覆われたようだ。ここに至りようやく顔をあげたぼくが目にしたのは、これまでとは別の世界だった。

 

周囲の様子が、一変していた。たしかに、見事なまでの色彩にあふれていた。足もとには黄色い落ち葉が敷き詰められ、頭上のもみじも、より赤みを増したように感じられる。ただちがうのは、見渡すかぎり、どこまでもそれが続いているということだった。

 

とてつもなく広大な森の中に、ひとり置き去りにされたような気分だ。世界は赤と黄に埋め尽くされていた。先ほどまで庭のあちこちに点在していた茶屋や休憩所、ベンチといったようなものはどこにもなく、ただ一面、果てることなく続く秋の色彩。
何より、ここには誰もいなかった。つい数分前まで、庭園にはぼくと同じように紅葉を楽しむひとびとがそぞろ歩いていた。しかし今、そんなひと影はどこにもない。

 

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「なんだ、ここは?」

 

辺りを見まわしながら、呆然とつぶやいた。事態の急変に頭が追いつかない。いや、そもそも理解できるような状況ではないことが、ぼくの焦りを増幅させた。ぞくぞくとした寒気が背筋から這いあがってくる。二の腕に、鳥肌がたった。意味もなく数歩先へ小走りに進んでは、またもとの場所に戻る。どこへ向かっても景色が変わることはなく、けっきょくどこへ進むこともできずまたもとに戻る。それを繰り返す。なぜだかその場所を離れたが最後、自分が二度ともとの世界に戻れないように思えた。

 

自分の心臓の音が大きく聞こえる。心細さと不安に圧し潰されそうで、空を見あげる。赤い葉叢の向こうには、重苦しい灰色の雲……突然、不穏な羽音とともに真っ黒なカラスが飛び立った。ぼくは短く声をあげると同時に、身を竦めた。と、その時だった。

 

視界の隅に、彼女を捉えた。

 

まだ距離はある。百メートル以上は離れている。それでも極彩色ともよべる世界の中でただひとり、真っ白な着衣に身を包んだ若い女性の姿は、ぼくを捉えて離さなかった。

 

こんな場所で誰かに出逢ったということに、おどろきとともに恐怖を感じた。そう、ようやく自分以外の誰かを見つけたというのに、ぼくは喜びや安堵よりも恐れを抱いた。それぐらい、彼女はこの世のものならざる気配を漂わせていた。

 

静かに、ゆっくりと、ゆらゆらと揺らめくような足どり。それでも徐々にこちらに近づいてくるのが分かる。近づいてくるにつれて、その女性が、最初に思った以上に幼い少女であることが見て取れた。長い髪が、着衣にも負けないほどに白い顔を縁どっている。

 

夢遊する白い少女は、何気ない様子で辺りの木々に触れる。彼女に触れられた樹木は、すっと眠りに就くように色を失う。決して木肌が灰色になったりするわけではないが、明らかに変化が見て取れる。同時にその頭上から、赤く色づいた落ち葉が舞った。赤い葉が、はらはらと舞い落ちた。それは辺り一面を埋め尽くす黄色い落ち葉と混じり合い、やがてすべてを赤く染めた。

 

 

呆然と、その場に立ち尽くすよりなかった。いま目撃しているものを現実として受け入れるのは、容易ではなかった。それでも恐怖はやがて、畏怖へと変わった。あまりの鮮やかな色彩に、ごくりと唾を呑む。首からぶら下げていたカメラが揺れて、その存在をぼくに思い出させた。咄嗟にそれを掴む。だが、構えることはできなかった。ただの一瞬も見逃してはならない――そう思うと、ファインダーを覗き込むことさえ厭わしかった。

 

「あら、珍しい」と、不意に彼女が足を止めた。まっすぐに、ぼくの方に顔を向ける。「こんなところで誰かにお逢いするなんて」

 

刹那、逃げ出したいという衝動に駆られた。けれどぼくは動けなかった。ぼくを見つめる少女から、視線を逸らすことができなかった。

 

「迷い込んでしまったのね?」幼い顔立ちとは裏腹に、やさしげな口調。「怖がらなくても大丈夫。危害を加えるつもりはありません」

 

その口もとに微かな笑みを浮かべながら、ゆるりと近づいてくる。

 

「き、君は……だれ?」やっとのことで、ぼくは口を開いた。声の震えを抑えることができない。「ここは……ここは、いったい……」

 

「あなたたちの世界の言葉でいうのなら、わたしは冬の精ってところかしら」と、少女は愉しげに笑った。「そしてここは、秋と冬の境界……境目の世界」

 

「境目?」

 

「そう、もうすぐあなたたちの世界に冬がやってくる。その始まりを告げるために、わたしはここで秋の終わりを木々に知らせる」

 

そう言いながら、彼女はすぐ近くの樹木に触れた。そのほっそりとした指さきが触れた途端、やはり樹木は色を失い、頭上からは真っ赤な葉が、はらはらと舞い落ちた。

 

「ここから……ここから出るには、どうすればいい?」愉しげに笑う少女に、ぼくは縋るような声で訊いた。「どうすれば、元の世界に戻ることができるんだ?」

 

必死だった。本当はつかみかって問い質したかった。しかし少女に対する畏れがそれを邪魔した。咽喉がカラカラに渇いていた。つめたい汗が背筋をなぞった。少女を前にしていなかったら、本当に泣き出していたかもしれない。

 

「大丈夫、心配しなくてもあなたはもうすぐ元の世界に戻れるわ」

憔悴するぼくを気にするそぶりもなく、少女は笑みを浮かべたままに告げた。
「ただ、ちょっとばかり季節が移り変わってしまっているかもしれないけど」

 

わずかの間、少女は何かを思案するように首を傾げた。それから唐突に、辺りを弾むように回り始めた。

 

面食らった。何が始まったのか、まるで理解できなかった。ぼくの周りを回りながら、少女は辺りの木々に触れた。空一面から、真っ赤なもみじが舞い散った。はらはらと、舞い散った。ぼくは相変わらずその場を動くこともできず、ただ事態を呆然と眺めるよりなかった。

 

いつしか声を立てて笑う少女。ぼくのすぐそばで、くるくると回っている。真っ白な少女は、真っ赤な紅葉の中で舞い踊る。「また来年ね」そう言って、木々に冬の到来を知らせている。

 

印象的な光景だった。軽やかに回る少女に、いつしかぼくは魅了された。半ば条件反射のように、手にしていたカメラを構える。理性よりも、本能が勝った。ファインダー越しに少女の姿を捉える。それはまるで、見事なまでの絵画だ。圧倒的な色彩。その中で、ひときわ輝くような白……ピントを合わせるのももどかしく、必死でレンズを覗き込む。

 

少女は、くるくると回りながら微笑んだ。

くるくると回りながら、ぼくを見つめた。

可憐でいて妖艶。物憂げでいて無邪気。その瞳が、ぼくを見つめた。

吸い込まれるように、シャッターを切った。 
 

 

 

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気がついた時は、元の世界に戻っていた。
庭園。池を前に、ぼくは立ち尽くしていた。
戻ってきた。戻ってこれた。頭の中で何度もつぶやく。
まだ実感が湧かない。景色の変化が、ぼくを惑わす。
どんよりとした灰色の空。つめたい風とともに、白い粉雪が庭園を覆っていた。
季節は、秋を終えて冬に変わっていた。彼女の言っていたとおりだ。
両手を広げ、空を見あげた。なぜだろう? 無事に元の世界に戻ってくることができたというのに、どうしてだか少し、泣きたい気分だった。まぶたを閉ざす。ふうとひとつ、息を吐いた。頬にひとひらの粉雪が舞い降りて、すっと溶けるように、消えた。

 

    
                                    《了》

 

 

 

さて、いかがでしたかな? 

もともと、あまり起承転結をつくらずに、夢の描写みたいに物語を書き進めるのが好きだ。うつくしい情景をうつくしい文体で書く。そしてその果敢なさみたいなものが伝わればいいな、という感じ。

 

季節の変わり目、秋の終わり、冬の始まりに。

 

高北謙一郎