高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

タップダンス その3

はい、まさかまさかのタップダンス第3弾。

 

よくそんなに書くことあるな、とか思いつつも、まぁ3年続けて3回で完結するなら短いといえば短いのかな。完結するかは知らないが。

 

とりあえず、前回は初めてのレッスン体験から何だかんだと頑張っていた3年間をザッとおさらいして、今日はどうしてそんなに頑張ってたタップダンスを止めてしまったのか。それについてのお話。

 

ズバリ…

 

飽きた。

 

おっと。

 

わざわざ初の太字まで使ってたったそれだけ?

 

いや、それだけではないが、ひと言で表現するならそれだけである。

だが、それだけで終わらせてしまうと弾3弾まで引っ張った意味がない。

 

そんなわけでひとつ、私がレッスンを受けていて微妙に不満に思っていたことを。

 

 

もしかするとこれはどこのスタジオでもそうなのかもしれないが、率直にいって、あまりにも曲に合わせて踊る、ということに固執しすぎているのではないだろうか?

 

レッスンの流れはだいたいこうだ。まず、課題となる曲が提示される。その曲の振り付けが段階的に伝えられる。何小節かに分けながら、曲に合わせて決められた振り付けで踊る。1曲すべてをマスターしたら、また次の課題曲が提示される。

 

新しい曲になれば次第にステップも複雑化され、難しいモノになっていく。また次の曲になれば新しく難しいステップが組み込まれる。それにともない各自のレベルもアップする。それは分かる。分かるのだが。

 

どうもね、結局その曲が流れないかぎり踊れないんですよね。

 

どんなに複雑なリズムやステップができるようになっても、じゃあいつでも気ままにそのステップを踏めるかといえばそんなことはなく、レッスンで教わった曲で教わった部分に合わせないかぎり、自発的には踊れない。なぜって、そういうふうには教わっていないから。

 

それで本当に「踊れる」ようになったのかな?

 

なんてことを考えてしまったわけである。

 

もちろん、私がまだまだ未熟で、教わったステップを自分のモノにしていないから他の場面で活用できないのだ、ということは理解しているつもりだ。

 

 

だけどね、もう少し何とかならんものかね、と…。

 

そんなわけで、ただただ曲のレパートリーばかりが増えていくレッスンに、飽きてしまったのだ。

 

 

 私の思い描いていた「踊る」とは、まるで鼻唄でもうたうかのようにステップを踏むことであった。街でふと耳にした音楽に合わせて、自然と体が動いてしまうような。

 

たぶん、私が求めていたのは語学教室のレッスンのようなものだったのかもしれない。

レッスンの最初にひとつのステップを教わる。そのステップとこれまでに教わったステップを組み合わせて短いフレーズをつくってみる。適当な音楽を流してその日に教わったステップを自分なりに踏んでみる…と、この感じだ。

 

ちょうど、言葉をひとつひとつ覚えていくのと同じ。最初は単発的な単語でカタコトに喋るのがやっとかもしれない。でも、それが増えていくにつれて、次第にひとつの文章として成り立っていく。身につけた文章はやがて、うたうように語られる。そう、まるで鼻唄でもうたうかのように。

  

 

面倒くさい生徒だな、我ながら。

 

なにやら最後は真面目に話してしまったが、それでも私は、タップダンスについての物語をひとつ、どうしても完成させたいと思っている。単純に小説としてでもいいし、あるいはその他の「何か」ででもいい。とにかくひとつの作品としてカタチにしたい。

だから、もしかするとまたタップダンスの話、出てくるかもしれない。

 

 

何はともあれ、教えてくださった先生方、ありがとうございました。