高北謙一郎の「物語の種」

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『JJ』

そういえば女性ファッション誌の『JJ』が今年いっぱいで月刊誌としての販売を停止する、とのこと。

 

当然ながら女性誌なんで私の着る服に影響を与えることはなかったが、以前はモデルさんに、イメージを伝える時に利用していた時期もあった。

 

思えば初めて女性誌を購入したときはヘンに意識しまくって緊張したものである。

 

まだネットでの購入が一般的ではなかったころのハナシだ。

 

店頭で購入するしかなくって、でも明らかに女性には見えない私が『CanCam』やら『JJ』やら『25』やらを抱えてレジに並ぶサマは異様でしかなく、無駄に余計な動きをして不審者感を増していた。

 

ファッションもだったけど、ポージングもね、よく参考にしていた。ファッション誌のモデルさんとポートレート系のモデルさんは根本的な点で違うのかもしれないが、バッグや小物を持っていない状態ならそこまであからさまな違いを感じることもない。

むしろスカート等の動きの出し方とかは勉強になった。

 

それにしても、当時のファッション誌は別世界の女性たちを扱っている感が強く、「こんな子たち、本当に実在するの?」とか、よく思ったものだ。

 

仕事も充実、プライベートも充実、たまにちょっとしたパーティなんてものもあり、日々たのしく過ごしていて…もはやファンタジーとして眺めていた気もする。

 

とはいえ、写真だってファンタジーみたいなもんだ。別にモデルさんとの親密さとかデート感とか、私は求めていない。

 

本来、絵画の世界が根っこにある。

 

 

 

 

これまでにも数回とりあげているが、私はシュルレアリストにそれなりの共感を抱いている。デルヴォーは自らをシュルレアリストとは思っていなかったようだが、そのスタンスというか距離の取り方が、個人的に『シュルレアリストの画家の中でもイチバン好きかも』という要素になっているのは確かだ。

 

誰もいないひっそりとした空間に配した女性。複数人の時もあればたったひとりの時もある。

 

複数人であれひとりであれ、そこにある静かな親密感にとても惹かれる。たぶん、私も写真の中でそこを目指しているように思う。

 

 

…ハナシが壮大になってきた。

 

本題に戻る。『JJ』。

 

何はともあれ、その華やかな世界観はそれなりの憧憬を持って眺めるには充分だった…と、カッコよく締めくくってみた。

 

長年にわたり、お疲れさまでした。