高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

自然公園の恐怖体験

おとといの午後は埼玉県の見沼田んぼの撮影に出掛けていた。と、そんなハナシを昨日のブログでもほんの少しだけ触れてみたが、正直なところ、撮影そのものより一帯の緑の量に圧倒された印象がある。

 

とにかく緑が多い。

 

とくに、田園地帯周辺に点在する自然公園なるものがスゴい。広大すぎるほど広大な敷地に緑があふれかえっている。もはや「自然」というよりは「野生」って感じだ。

 

ちょっと広大すぎてその公園の名前が定かではないのだが、おそらくはその名もズバリ、「見沼自然公園」。なにやら他の公園と隣接しているらしく、どこまでが何という公園なのか分からない。とにかく広い公園だ。

 

 

東京ドームの2.5倍という面積。中央部には巨大な池。敷地内を縁に沿ってぐるりとアスファルトで舗装してある。池とアスファルトの道を隔てるのは、膨大な緑の草原。

池に近づけるような道はない。ただ延々と回遊するかのように歩くのみ。

 

当然、そんな公園であそぶ子どもたちはおらず、ほとんどヒトの姿はない。カメラ持参だからこその好奇心で歩いていたが、フツーに散策をしていたなら最初の5分できびすを返していただろう。

 

が、そんな私が延々と歩いている時だ。

 

ふとその草原の一部に、獣道のように草が倒れている場所が見えた。池まで続いているわけではないが、とりあえずアスファルトの道から下におりられるみたいだ。

 

普段なら、絶対におりない。

辺りにヒトはいないし、自分の腰の高さくらいはある草が生い茂ったそこには、何が潜んでいるものやら知れたものではない。

 

が、おりた。

 

なぜならカメラを持った私は、入れる場所なら何処にでも入ってみようとするからだ。

 

アスファルトの道から急な傾斜をくだる。ここで転んだらシャレにならないので、かなり慎重におりる。おりてしまえば、あとはくるぶしぐらいの枯れ草が広がる原っぱだ。あっさりと獣道は消えてしまったが、池までの距離を遮るものはない。

 

私は進んだ。道なき道を、池を目指して。

 

 

到着。カメラを構える。絵にならない。

 

絵になりそうで、しかし絵にならない。

 

広大な公園ではあるが、その外側、周辺にはヒトが暮らしている世界がある。鉄塔もあれば電線もある。マンションも見える。とにかく、空を画角内に納められない。

 

諦めきれず、池に反射するひかりを切り取る。しかし、やはりたいしたモノにはならない。これは続けても仕方がない。仕方がないから、帰るしかない。戻ろう。

 

そして我にかえった。

 

自分がいま、とんでもない大自然の中にたったひとりで存在していることに。

 

 

こわい…。

 

不意に恐怖に襲われた。カメラをおろした私は、もはやカメラマンではなくひとりのニンゲンだった。心細くなった。

 

いま、ここにヘビでも現れたら、私は逃げられない。池にワニなどいるはずがないとは思っていても、もし万が一、誰かが飼っていたワニをそこに放してしまい、挙げ句のはてに野生化したものが、いないとも限らない。

というかここ、カッパ出そう…。

 

くわえて、遥か遠くとはいえ人間界が見えたことで私の妄想は加速する。もしここに脱獄犯とか凶悪犯、あるいは警察から逃れるために身を潜めているヤバいヤツがいたら…

 

私に、助かるすべはない。

 

 

「やべー、こえー」

 

ひとり呟いた声は、何に反響することもなく草に吸い込まれる。ヤバい、マジでこわい。

おりるときには確認できた獣道のような細い道も、下から見ると確認しにくい。

というか、そもそも本当に獣が通った道だったらどうしようか…。

 

フツーに暮らしている中で、ここまでニンゲンの気配を感じないことなんて、そうあるものではなかった。想像してみてもらいたい。東京ドームの2.5倍もの敷地に、存在するのは自分ひとり。もしほかに誰かがいたとしても、それはまず間違いなく尋常ならざる相手。

 

もはや、恐怖しかない。

 

「ひーっ」とか叫びながら私がその場を逃げ出したのは、言うまでもない。

 

 

あぁ、こわかった。

 

 

皆さんの中にも、自然の景色などを撮影するかたはいらっしゃると思う。そして撮影に夢中になるあまり、周囲への意識が薄れてしまうこともあると思う。

 

ふと気がついた時のあの恐怖…皆さん、お互い気をつけましょう!