高北謙一郎の「物語の種」

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ジャズでフェードアウトすることの罪

 

はい、たまには音楽ネタ。

 

とても個人的な意見なのだが、ジャズという音楽ジャンルに於いて、フェードアウトで終わるということは完全にアウトだと思っている。

 

アルバムを買って、どんなに気に入った曲がたくさんあったとしても、1曲でもフェードアウトの曲があるとそのアルバムの価値は半減する。それぐらいフェードアウトは邪道だと思っている。

 

なぜか?

 

だって、ジャズはライブ感がウリなんだから、キチンと終わらないでどうするの?

 

と。

 

例えばポピユラーミュージックならフェードアウトもぜんぜんかまわない。むしろカッコいいと思うことすらある。しかし、ジャズならキチンと終わってほしい。絶対に。

 

そしてもし、それがミュージシャンの意思ではなく、製作陣の意向であったとすれば、もうこれは許しがたい蛮行と言わざるを得ない。ミュージシャンが本気で演奏しているのにそれを勝手に終わらせるとか、いったい何を考えてるんだ?

 

こんな、ミュージシャンへのリスペクトが感じられないアルバムはどうあっても駄作だ。

と、そんなふうに思っている。

 

が、そんな中、珍しく「許す」と思ってしまったアルバムがある。

 

許すという言葉はなんだかエラそうで申し訳ないので、言い直すなら「許容できる」といったところか。

 

カム・レイン・オア・カム・シャイン

カム・レイン・オア・カム・シャイン

 

 こちら。

アノトリオ。

 

「TRIO'」とはこのグループの名称(トリオとしか読みようがない)。ジャズから始まったはずのドラマー市原康は結局はスタジオミュージシャンというイメージが強いが、90年代終わり頃にはジャズシーンで活動するようになった。その市原が2004年に結成したピアノトリオ「TRIO'」。ピアニストには自己のトリオその他多彩な活動を続ける福田重男。福田の初リーダーアルバム「Blessing」はベースにロン・カーター、ドラムスにジョー・チェンバースを迎えての意欲作。もっぱらニューヨークのジャズをイメージさせるピアニストである。そしてベースには二十代の頃に市原とも交流があったがその後スウェーデンに渡りヨーロッパのジャズプレイヤーとしてその地位を築き上げた森泰人。森は現在もスウェーデン在住のジャズベーシストとして活動を続けている。その活動歴にはリー・コニッツスタン・ゲッツ、ケニー・バロン、トゥーツ・シールマンスなどジャズファンなら誰もが知っているプレーヤー達が名を連ねる。そして森は主にスウェーデンと日本のミュージシャンの架け橋として「スカンジナビアンコネクション」を主催。多くのヨーロッパミュージシャンを日本に紹介し、また日本のミュージシャンもヨーロッパに紹介するという働きをしてきた。即ちこの「TRIO'」はスタジオミュージシャンとして活動してきた市原と、ジャズといえばニューヨークという福田、そしてヨーロッパの弦楽器の教育を受け、ヨーロッパのジャズの中で育ってきた森。その三者三様とも言えるミュージシャンの集合体がこの「TRIO'」というわけである

 

*このトリオを説明すると長いのでAmazonさんより引用。

 

 

で、このトリオ、フェードアウトをしない。こちらも引用になってしまうのだが、アルバム内のライナーノーツにて、ドラムスの市原氏も言及している。

 

5曲目。what a difference a day made

 

TORIO’の楽曲中唯一のF.O/フェードアウト。今までの曲はどんなにF.O的なエンディングでもたいていの場合最後まで三人とも絶対に棄てないで音を出しているので、どうしても最後まで聴かせたくなってしまう。だから今まではF.Oを予定していた曲でも大体最後の最後まで聴かせている。

 

 

と、この考え方に深く共感している。が、この肝心の5曲目がフェードアウトなのだ。

 

何故か?

 

最後の最後で、市原氏当人が失敗した、とのこと。

 

それもまた、素直に書いている。

 

そう書かれてしまっては「仕方がないなぁ」と思うよりない。

 

アルバム全体では、1曲目から私の好きな「ペイパームーン」が収録されていて、けっこうお気に入りだ。5曲目は…まぁ、仕方がないね。

 

しかし市原氏のような考えを持つミュージシャンがいるかぎり、やはりフェードアウトは止めてもらいたい。

 

そろそろまた新しいアルバムが買いたいなぁと思いつつ、そんなことを願う。