高北謙一郎の「物語の種」

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アルバムを通して聴くということ。

 

 

Elegiac Cycle

Elegiac Cycle

 

 

今の時代、アルバムを通して聴くことがどれだけ珍しいことか、ふと思うことがある。

 

ダウンロード全盛の現在、聴かれるのはキャッチーなメロディを持ったシングル曲ばかり。そしてそんな時代に作られたアルバムは、単なるシングル曲の見本市めいたものばかりだ。

 

別に懐古趣味を標榜しているわけじゃない。最新のヒットチャートを賑わすアルバムにも名盤、名曲は存在する。

 

ただ、本来アルバムとは1枚を通して聴くものであり、そもそもそうやって聴かれるために構成されたものだ。

 

例えば有名なヒット曲の入ったアルバムがあるとしよう。ミュージシャンは決してその前後の曲をどうでもいいものとは考えない。彼らからしてみれば、いわゆる「捨て曲」なんてものは存在しない。ヘタをしたらその前後にこそ、本当に聴いてもらいたい曲を持ってくることすらある。

 

もっとアルバムを通して聴くべきなのではないだろうか。そんなことを思ったわけだ。

 

前フリ、長い…。

 

 

で、そんなことを思ったら、ふとブラッド・メルドーのソロピアノによるこのアルバムを思い出した。

 

ブラッド・メルドー。まぁ、いわゆる天才だ。いいヒトでもないしワルいヒトでもない。ちょっと変人。しかしやっぱり天才。

 

 

曲と曲との切れ目もなく、ただひたすらに奏されるピアノ。暗い。でも、どっぷり浸ってしまう。すごく映像的で寒々しいのに、その空間の片隅に、ひっそりと温もりを感じさせる。真冬の明け方の部屋に、そっと朝陽が射し込む感じ。とても好き。そしてやっぱり、アルバムを通して聴くべき。

 

 

そろそろブラッド・メルドーの来日も近い。ソロでのライブチケットはすでに完売しているようだが、トリオの方はまだわずかだが残っているようだ。

 

スケジュールが合えば、行ってみたいと思う。