高北謙一郎の「物語の種」

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さくら

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遥か昔に撮ったさくら photo by takakita


 

 

 先日、東京でも桜の開花宣言が発表された。

 

これからしばらくの間、私は花見をしに出掛けまくる予定だが、せっかくだから少し風情を感じながら眺めたいと思う。あ、花見といっても飲み会とかではなく、ただふらふらと桜を眺めて散歩がしたいのだ。純粋に、桜の花が好きなので。

 

桜には古来よりさまざまな歌が存在する。ポピュラーソングの方ではなく、和歌の方の話だ。まぁ実際ポピュラーソングの方も同じだと思うのだが、なにしろその数が膨大で、出尽くした感がある。これから桜の和歌を詠もうと考えている方がいたとして、そうとう悩ましい問題ではないだろうか。

 

 

 

ちなみに私の好きな桜の和歌は西行法師。

 

願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃

 

 

願いが叶うならば、桜の下で春に死にたい。草木の萌え出る如月の満月の頃がいい

 

 

 

これを詠んで本当にその季節に亡くなったのだから、今とは比べ物にならないほど、桜の花に対する想いの強さ、深さを感じる。

この歌のなにが好きかといって、なにしろその情景が見事なまでにイメージできることにある。同時に、西行法師がその時にイメージしている映像までが目に浮かぶということ。伊達に後世に残る歌ではないな、と思う。

 

 

日本の月と桜 日本の美意識

日本の月と桜 日本の美意識

 

 

 

桜の花を眺めて歩くことが、むかしから好きだ。そこにただのうつくしさ以上の何かを感じるからだと思う。その、言葉にしえない「何か」の気配こそが、私を惹きつけるのだと考えている。今年はどれだけの桜をどんな思いで眺められるのか、今から楽しみだ。

 

 

 

ところで、出尽くした感があるのは写真も同じで、もういったいどれだけの人間が桜の花を撮影したのだろうと思うと、ちょっと二の足を踏んでしまう。もう撮りつくされた被写体だ。どこをどう撮ろうともすでに誰かによって撮られたモノとなる。

 

桜の絶景 2019 首都圏版 (ぴあMOOK)

桜の絶景 2019 首都圏版 (ぴあMOOK)

 

 

 

それでも、今年はちょっとホンキで撮影に出掛けたいと思っている。

お見せできる作品が撮れればいいのだが…。

あまり期待せずにお待ちいただきたい。

 

それでは。