高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

東京国際マラソン

今日の午前中、東京国際マラソンが行われた。

ラソンをテレビで観戦することなんて普段はまったくないのだが、たまたまボンヤリ観ることになった。雨で退屈だったから。

 

日ごろ自分がブラブラと歩いている東京の街中を、ランナーたちが走り抜けているというのは個人的に新鮮だった。あぁこんな場所を走るんだ、と改めて思ったりもした。

 

それにしても、いつものことながらマラソンの人気の高さには驚かされる。

 

雨の中あれだけの観衆が集まるというのは、本当に凄いことではないだろうか。

 

たぶんマラソンというものは、どんなスポーツよりもその大変さが理解しやすいものなのだろう。長い距離を長い時間を掛けて走る…誰もが体験したことのある記憶、そして誰も体験したことのないスケールで繰り広げられる現実…そのコントラストが圧倒的だ。

あんなスピードであんな距離を走ることなんて自分には出来ない…そう思えるからこそ、誰もが選手たちを応援したくなるのだと思う。

 

ま、正直ワケ分からない距離だし、沿道で選手を追い駆ける一般人を見た時のスピードの違いはウケてしまうぐらい別次元だ。エンターテインメント性はやや不足気味だが、観ていて面白いことは確かだった。

 

ただいつも思うのだが、観戦するだけなのと参加するのとはまるで違う。

 

ラソン愛好家は、驚くほど多い。

ふだん街を歩いていても、しょっちゅうもがき苦しみながら走っている方を見かける。

 

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完全に2つに分かれているように思う。

ラソンの好きなひとと、

ラソンの嫌いなひと。

 

何故だろう?

 

最初に言っておくが、実は私もランニングは長く続けていた。いま住んでいる場所に引っ越してからは走る環境が確保できないため途絶えているが、以前は週に1度か2度、10キロほどのランニングを楽しんでいた。

 

そう、楽しんでいたのだ。

 

苦痛ともなんとも思わずに。

 

我ながら不思議な感覚だと思う。

どう考えたってキツいし、どう考えたって面白いとは思えない。

なのに1度走り初めてしまうと、当然のように走り続けていた。

ヘンな麻薬性でもあるのだろうか?

 

よく言われる達成感や爽快感は、そこまで感じたことはない。強いていえば安心感は得られた。少なくとも「その日イチニチ、私はまっとうに生活しました」という安心感だ。それぐらいだ。そんなもので、よく続けていたものだと思う。

 

でも、正直みんなそんなもんじゃないのかな? どうして走るのが好きなのか、その理由をキチンと答えられるひとなんて、あんまりいないんじゃないのかな? と、そんなふうにも思う。

 

書いていたら私も走りたくなってきた…。

 

 

そのうちまたランニングを再開するであろうことも、容易に想像できる。それはランニングを楽しめる人間の特権として、素直にありがたく思っておく。

 

 

あ、そうそう。

週に1度、noteの方に掌編を投稿しているが、今日は触発されてマラソンネタを投稿した。よろしければ、おたのしみくださいませ。

 

 

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