高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

リズム感

突然だが宣言する。私にはリズム感がない。

普段はリズム感がないことすら忘れているが、実際のところ相当にヒドイ。

 

まず、手拍子を1分以上安定して叩けない。

よくライブなどで手拍子を求められるが、あれは相当キツい。なるべく周りの音に耳を澄まして、とか思ってはいるのだが、たいてい気がつけばビミョーにズレている。

 

たまに陸上競技などでも、似たような場面を目にすることがある。個人種目の選手が試技の前に客席に手拍子を求め、自分を鼓舞するアレのことだ。

あれを見るたびに思う。もし私が会場にいたら、その選手の記録は惨憺たるものになっているだろう。

 

 

そんな私がむかしタップダンスを習っていたことは、以前このブログでもお伝えしたとおりだ。いやはや「コワイ物知らず」というか「コワイ物見たさ」というか、よくやっていたもんだ。

 

東中野にある個人向けスタジオでは、携帯性に優れたリズムマシーンも持参して練習していた。けっこうマジメだったのだ。

 

 

それでも、たいして上手くはならなかったが。

 

しかし、そもそもリズム感って、単調な音の連続ではないはずなのだ。4拍ならアタマが一番強く、3拍目がその次ぐらいの強さ、2拍4拍はそこそこフラット。そんな感じのはずだ。きっちり刻めばいいってもんでもない。

 

時々、なにげなく足でリズムを取っている方を見かけるが、あれと同じことをドラムやパーカッションをやっている方がやると、まったく別物になる。安定していることもあるのだろうが、あの違いはやはりアクセントの付け方にあるような気がする。

 

以前、お世話になっているドラム&パーカッションの方にお訊きしたことがある。

「リズム感とは?」

 

その方いわく、「最初は意識して練習しているが、そのうち意識しなくなる。そもそもリズムとは人間にとって心地のいいものであり、それは誰にでも備わっている感覚だから」とのこと。

 

つまり、リズム感とは人間の本能的な部分に備わっている感覚であり、それが上手くいかないのはたんにその感覚が眠っているからだ。そいつを叩き起こせば呼吸をするのと変わりなくリズムを刻むことができる。と、そんなことらしい。

 

どうやら私のリズム感はとてつもなく深い睡眠に陥っているのかもしれない。逆にいえば、いつの日かそれは覚醒する可能性もある。ということか。

100年の眠りから目覚めた眠り姫のごとく、突然の目覚めを期待したい(地道な練習はしない)。

 

 

 

 

なんでそんな話をしているのか…。

 

たんにこの前の大掃除の際、引き出しからリズムマシーンが出てきたからだ。

たいした理由じゃなくて申し訳ない。

 

しかし、おそらく世界には、私と同じようにリズム感がないとお嘆きの方もいらっしゃるはず。その方にも勇気と希望をお裾分けするために、私はここに記したわけである。

 

と、大きく出たところでサッサと終わらせる。今日のお話はこれにてオシマイ。