高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

左手に告げるなかれ。

そういえば、私は左利きである。

 

と宣言したことはなかった。

 

するほどのことではないからだが、せっかくだから宣言しておく。

 

私は左利きである。

 

 

だが、宣言できるほどの左利きになるまでの道のりは、なかなかタイヘンな日々であった。

 

何しろね、ワタシ子どものころ、3回ぐらい利き手が代わっている。

 

左利きの時は左手を、右利きの時は右手を怪我したのだ。

 

そしてそのたびに、私は利き手を代えた。

 

 

カメレオンなのか、ワタシ?

 

とか思ったが、カメレオンに利き手の概念が存在するのか分からないからたぶん違う。

 

 

もはや、最初がどっち利きだったのか知る者はないが(両親も覚えてないみたい)、最終的には左利きとなった。

 

 

しかしね、私が子どものころは左利きという存在は異端だった。今のようにユニバーサルデザインなんてカッコいい言葉もなく、それを個性だなんて口走る者もなかった。いいから右利きになれ、みたいな風潮。

 

小学校での放課後、落ちこぼれ集団と一緒に居残りで書かされた漢字ドリル。

左手ではなく、右手で書かされたのだ。

 

そんな影響で、今でも文字を書くのは右手である。

矯正(強制)されなかった絵は左手だ。

どちらも上手くはないが。

 

ちなみにコレ、頭の中でチェンジすることができる。つまり、字を書いている時に「自分はいま絵を書いている」と言い聞かせれば、左手でも字を書ける。絵を書いている時に「自分はいま字を書いている」と言い聞かせれば、右手でも絵を書ける。

どちらも上手くはないが。

 

 

時々、混乱する。時々ふと、無意識に右手で箸なんてつかんでいる自分に気づいたりもする。気づいたりすると、

「あれ? 文字以外も右手?」 

なんてなる。なんてなると、途端に右手では箸を使えなくなる。いつもは左手で箸を使っているのだから当然だが、どこかに右利きの記憶が残っているらしい。

 

不思議である。

 

もしかしたら、ホントは私、右利きだったりするのかもしれない。ある時ふと左手で箸をつかんでいる自分に気づき、「あれ?」なんて思った瞬間、箸が使えなくなるなんてこともあるのかもしれない。絵も書けなくなるかも。ボールを投げることもできなくなるかも。ビールジョッキをつかむのも…それはどちらでもできるから大丈夫。

 

とにもかくにも、左手にはナイショだ。

ヤツだって、もう自分が利き手だと信じてるだろうから。

 

そんな左手のためにも、やはり宣言しておいた方がいい。

 

私は左利きである。

 

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左手に告げるなかれ (講談社文庫)

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