高北謙一郎の「物語の種」

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綱渡りの男

 

綱渡りの男 (FOR YOU 絵本コレクション「Y.A.」)

綱渡りの男 (FOR YOU 絵本コレクション「Y.A.」)

 

 

ザ・ウォーク (字幕版)
 

 

ここ最近、大道芸関連の話題が多め。そんな中でふと思い出した。綱渡りに人生を懸けた男の物語を。

 

これ、数年前に映画化され、私は映画館で鑑賞したが、とても面白かった記憶がある。なにしろその後、同じ題材で出ていた絵本を購入し、最後は当時つづけていた自分の朗読イベント用に、この物語をモチーフに執筆してしまったぐらいだ。

 

何故、こんなにも私を惹きつけたのだろう?

 

私の人生が綱渡りそのもので、親近感を抱くとでも?

 

いやいや、そんなことはない。精神的には不安定かもしれないが、生活面はなかなかどうして、安定したものである。

 

では、それとも逆に安定した人生に退屈を覚え、綱渡り的スリルを求めているのか?

 

なにやら、どちらにしてもキケンな感じだ。

 

 

いや、たぶんね、単純にやってみたいのかも知れない。

 

 

平均台めいた遊びなら子どもの頃にやった。わりと上手かった。大人になってからは、酔っぱらったままに歩道の縁石を歩くぐらいだが、これもまた、呆れるほどに上手かったりする。もしかして綱渡りも出来るのではないか。と、私の本能が訴えている…のかもしれない。

 

綱渡りって、どこで出来るんだろ?

 

ためしにネットで調べてみた。「綱渡り体験」で検索。

 

と、なんと驚いたことに、あった。

 

しかも、今やスラックラインなる珍妙な名のもとに、立派なフィットネススポーツとして存在しているではないか。

 

行ってみようか…いや、なんだろう? この、スポーツジム的な場所に移動した途端に失われるロマンは。

 

そう、けっきょくのところ、コレだ。

 

ロマン。

これに惹かれているのだ。

ズバリ、綱渡りにはロマンがある。

そう思う。

極限の緊張感と爽快感。一発勝負の本番。そこに至るまでの日々と、それを達成した瞬間のカタルシス。精神の浄化。まさに悟りの境地。と、畳み掛けるように書き連ねてみたが、要するに自分が出来ないたことをやってのける誰かに対する憧れみたいなモノなんだろうな、きっと。

 

私が出来るとしたら、綱渡りのようなバランス感覚で書き進めるこの文章か。ホント、よくこんなんで頓挫しないもんだと、我ながら呆れる。

 

あ、コレか。

彼らと私の文章は似ているのだ。

だから惹かれるのね、きっと。

 

 

ってことで、個人的になにかスッキリしたので今日はこれでオシマイ。