器のお話
器という文字とジバンシィのロゴは似ていると思う。
そして、どちらもQRコードに見えなくもない。
と、いつも思っている。
どうでもいいハナシである。
サテ、器といえば以前、私は瀬津純司さんという陶芸家の大ファンだとこちらのブログでもご紹介したが、今回は別の作家さんをご紹介。
山本雅彦さん。
ふだん、あまりこの方の作品を意識することはなかったのだが(スイマセン)、この器には強く惹かれた。
まず、色がいい。そしてカタチがいい。ついでにいうと、その質感もスバラシイ。
サイズ的には径が17.5cm、高さが7cm、とのこと。大きすぎもせず、小さすぎもしない。
ネット通販で食器を購入するに際し、もっとも難しいのがサイズの把握だと思う。
いちおう調べれば表記はしてあるのだが、では実際17.5cmという径がどれほどなのか、イマイチぴんとこないのが実状だ。
購入をお考えの方は、いちど手もとにある食器のサイズを確認したほうがいい。あるいはせめて、テーブルの上に定規を置いてみることをお勧めする。
実際にモノが届いて、けっこうビックリすること多いから、ホント。
それはともかく、今回は山本雅彦さんの、このうつくしい朝顔のような器。
数ヶ月前から「欲しい欲しい」と連呼していたら、クリスマスに奥さまが買ってくれた。なんでも言ってみるものである。
ただいまワタシはこの器を手もとに置きながらパソコンに向かっている状態だ。
手もとに置いて何をしているのか?
愛でているのである。
うん、いいね。手触りもバツグンだ。
これにどんな料理を盛りつけようか…それを考えるのもまた楽し。
そういえば、どなただったかは忘れてしまったが、お弟子さんを何人も抱える人気の陶芸家さんが以前なにかでおっしゃっていたのだが、「うちに入ってまず覚えるのは、料理なんです」と。
雑用でもなく、
土に触ることでもなく、
まず料理。
なぜかと言えば、自分で料理を作るようになれば、それをどんな器に盛りつけようかと考えるようになるから、と。
ストンと腑に落ちた。
なるほど、至言である。
漠然と器を焼いたところで、たいしたモノなど出来るはずもない。
明確なイメージをもって初めて、ホンモノの器は完成するのだ。
と、カッコよく言ってみたが、
これは写真を撮る時にも当てはまることだ。明確な意図をもって撮影された写真と、漠然とただ撮影された写真とでは、仕上がりに雲泥の差が出る。
おそらく器や写真にかぎらず、あらゆる創作活動の根幹を成すポイントなのだろう。
ここでふと、手もとの器に目を向ける。
山本氏は、何を盛りつけようと考えてこの器を創るに至ったのか…?
あぁ、アレコレ考えるのが、また楽しくなってきた。
ちなみに、この朝顔の器にはもうひとつ別の色がある。
好みの問題だが、セットでそろえるのも悪くないだろう。
我が家には、濃いブルーがふたつやってきた。
それもまた、うつくしい眺めである。