高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

雨宿り

今日は昼からずっと雨。

 

雨を部屋から眺めているとよく思うのだが、もうずいぶんと雨宿りってしていないよなぁ…なんてことを考える。

 

民家の軒下から空を眺める感じ、そもそもそんなこと、やったことないかも。

 

にもかかわらず、まるで自分の記憶みたいにその場面って頭の中にある。

 

もしかするとこれって、誰もが同じイメージを共有しているのだろうか?

 

とするとそれって、おおもとのイメージはどこからきたものなんだろう?

 

 

…なんてことをツラツラ取り留めもなく考えながら、自分のイチバン最近の雨宿り体験を思い出す。

 

去年だ。

 

めちゃめちゃな土砂降りの中、としまえんに紫陽花の撮影に出かけた。

 

紫陽花の咲き誇る庭のアズマ屋で、雨宿りをした。

 

とはいえあの時は出掛ける前から雨は降っていたし、そもそもあの土砂降りでは風情もなにもあったものではなかったのだが…

 

 

そう、求めているのは風情だ。

 

おそらくはその、風情なるものがすべての人々の頭にインプットされている『雨宿り』のイメージなのだ。

 

 

…ハナシが壮大になってきたな。

 

 

まぁ、最近では悠長に雨を眺めている場合ではない人々が多くなったのだろう。

 

『風情』はいつしか『憧憬』となり、その象徴的イメージは民家の軒下から空を眺めながらの雨宿りとなった。

 

…なんてことを部屋の窓から外を眺めながら考えている私はすでに雨宿りをしているのではないか、なんてことを考えたりもしたのだが、ハナシがさらに取り留めもなく膨張するので止める。

 

さて、今夜も深夜帯のお仕事がある。そろそろ起きるとしようかね。

 

 

皆さま、お疲れさまでした。