高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

新海誠監督

今朝、たまたまネットニュースを覗いていたら、新海誠監督のインタビュー記事が載っていた。

まぁ現在『天気の子』が上映中だし、いろいろとメディアには出ているのでなんとなく読んでいただけなのだが、ふたつほど印象的なコメントがあった。

 

 

 ■雨は美しいものとしてもう描けない
──先ほどお話に出た『言の葉の庭』など、監督の過去作品では、雨は叙情的、肯定的に描かれている印象でしたが、本作ではネガティブなニュアンスで描かれていました。これは、何か心境の変化があったのですか?
新海 心境の変化というか、自分たちが今暮らしている環境の変化だと思います。劇中に、「昔は春も夏もすてきな季節だったのに」というセリフがありますが、現実でも、もはや温暖化ではなく気候変動の段階に入っていることが3年前くらいから顕著で、その体感が大きいですよね。
──ここ最近は、毎年のようにどこかが豪雨で甚大な被害を受けています。
新海 今まで、気候って情緒のあるもので、特に日本みたいな穏やかな気候の場所は「雨は雨ですてきだよね」と言えた。でも今の日本の夏はどんどん暑くなっているし、猛暑になれば豪雨も増える。
季節はもう穏やかなものではなく、どちらかというと、人間に対立するものとして存在しています。「もはや雨は叙情的ではない」という世の中の人たちのムードもあるし、僕も世の中の人のひとりなので、もう雨は単純に美しいものとして描けなくなっています。

 

 

 

たしかにこれから台風もくるみたいだし、ほんと雨が危険なモノという認識が強くなってきた気はする。以前のように、気楽に「降り始めの雨のにおいが好き」とは言い難い環境になってきたようにも思う。とはいえ、雨を叙情的に描くひとがいなくなってしまっては、ほんらい雨が持っていた魅力が忘れられてしまう。それなりに影響力のある監督さんには、ぜひまた雨の持つ魅力を描いて欲しいものだとも思う。

 

 

 

そしてもうひとつ 

 

 

 

 ──そうでしたか。結末については、過去から作品を追うごとに進化していると思いますが、『秒速5センチメートル』以前のような切ないエンディングが監督の真骨頂だと勝手に思っているのですが。
新海 そうなんですか?(笑)。でも僕は商業作品としてみんなが見たいものを作っているつもり。『秒速...』の当時は超ハッピーエンドじゃないものをみんなが見たいと思っていると感じてたし、『君の名は。』のときは、みんなが明るく前向きな物語を見たいのではと感じたから、ああいうものにしたというだけです。
──監督の趣味ではなく時代に合わせていると。
新海 別にチューニングしているわけじゃないですが、ものを作る仕事をしている人間として"蛇口"みたいなものでありたいと思ってるんです。
──蛇口とは?
新海 蛇口ってひねれば水が出てくるけど、水源はその時代の雨水がたまって浄化されたものなわけです。僕はテクニカルに蛇口をひねったら物語が出てくるような存在でありたいけど、水源は社会だから、どうしたってその水には観客の気分が混じらざるをえないし、混じっていたほうがいい。
そういう意味では、社会が変われば作るものも変化していく。それは今後も変わらないと思います。

 

 

 

 この、「蛇口」のたとえがとても印象的だった。イメージしやすい。

 

以前、とあるピアニストのライナーノーツで、「なにしろ彼には歌がある。歌の心が身体の中に溢れている。針でちょっと彼の皮膚を穴をあければすぐさま5~6曲飛び出してくるだろう」なんて書いていたかたがいたが、「蛇口」のたとえも同じニュアンスを感じる。

 

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よくこんな古いアルバムのコメントを覚えているもんだ、とも思うが、それぐらいその時も印象に残った言葉だったのだろう。

こういうひとたち、いいな。と思う。

 

 

・・・とまぁ、なんだかんだで感銘を受けた記事だったので、今日はそんなお話でした。

 

それにしても新海監督、検索で「しんかい」って打つと、「深海魚」より上に「新海誠」って出てくる。スゲーな。

というかまだ『天気の子』を観ていない。

ちょっくら映画館、行ってこようかなぁ。

 

はい、オシマイ。