ポートレート
サテ、時どき更新するポートレート。
昨日はモデルの真央さんを撮影させていただいた。
個人的なハナシだが、以前からとても撮影したいと思っていた女性だ。
半年ほど前、たまたまスケジュールが合ってお願いしていたのだが、ちょうどそのタイミングで彼女の方が足を怪我してしまうアクシデントが。
そんなこんなで、昨日はようやく念願かなっての撮影となった。
撮影は2部構成。1部では、白シャツにジーンズというシンプルな服装にて、リラックスした雰囲気で進めさせていただいた。
そういえば以前から、「なぜ女性ポートレートを撮影するのか?」という質問を受けることがある。独身時代はいかがわしい理由を想像され、結婚してからは夫婦仲を心配される(ウソ)。また、私は本職のモデルさん以外にも知り合いのミュージシャンや飲み友達なんて方も撮影するので、その方に彼氏などいると妙な勘繰りを受けたりもする。
せっかくなので、この場を借りてお伝えしておく。
今日のブログは、あえて撮影後に出かけた松涛美術館の「廃墟の美術史」についてのお話を先に投稿させていただいたが、実をいえば、そこに私のイメージを伝えるための伏線が張ってあった。
ポール・デルヴォーの絵が、私のイメージするものにもっとも近い。
【美術解説】ポール・デルヴォー「タムの王国」 - Artpedia / わかる、近代美術と現代美術
彼の描くような街のイメージが、自分の中にある。
別にデルヴォーの描く街にそっくりなわけでもなく、キリコやマグリット等の画家の絵のイメージも混じっている。もちろん絵画だけではなく、これまで読んだ本や観た映画、あるいは訪れた場所など、いろいろと混じっている。
たぶん、最初期には完全なオリジナルだったものに、様々な経験や影響が混じり合い、巨大な街になっているのだと思う。
けれどその街には、誰もいない。
街のイメージはどんどん広がっていくのに、そこは無人だ。
だから、女性のポートレートを撮る。
空白を埋めるために。
そんな感覚だ。漠然とし過ぎていてよく分からないかもしれないが…。
それはそうと、真央さんとの撮影は非常に楽しかった。彼女の持つ透明感のようなものは、私が思い描く“絵”との相性がよかった。ファインダーを覗くたびに「いいねコレ」と思えるのは、撮影する側からするとなんともありがたいことだ。
またお逢いできることを楽しみにしている。
あ、ちなみに2部の方は現在、真央さんに確認いただいている。
そのうち公開できるかもしれないし、できないかもしれない。
別にいかがわしい写真ではない。ヘンな期待はしないように。
それでは。