高北謙一郎の「物語の種」

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贋作ゴッホと真作ゴッホ

昨日のネットニュースで知ったのだが、これまで偽物といわれていたゴッホの絵が、本物だったと認められたらしい。

 

 

作品は1960年にある夫婦から寄贈された「果物と栗のある静物(StillLifewithFruitand Chestnuts)」(1886年)。ゴッホの作品ではないかと思われていたものの、複数の専門家から真作ではないと鑑定され、ゴッホの総作品目録には掲載されてこなかった。

 

 

とのことだが、

 

ゴッホ美術館の広報担当者によると同美術館の専門家が昨年末、ゴッホの手になるものだと結論づけた。

 

とのことだ。

 

 

引用、楽チンだな。

 

贋作とされていたビンセント・ファン・ゴッホの作品 本物と判明 - ライブドアニュース

 

 

まぁそれはともかくとして。

 

ゴッホの絵はときどき日本でも見かける。新宿の損保ジャパン美術館は、「東郷青児記念」を冠しているクセに、いまでは「ひまわり」の美術館として名高い。

 

何度か伺っているが、やはり「ひまわり」の展示スペースは特別感がある。

 

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

 

ただ、別にこの絵にナンクセをつけるわけではないが、もしもこれが偽物だったとしても私には区別がつかないだろうな、とは思う。

 

 

もっと知りたい ゴッホの世界 (TJMOOK)

もっと知りたい ゴッホの世界 (TJMOOK)

 

 

そういえば年末に話題になった、徳島の大塚国際美術館は、世界の名画のレプリカを展示の中心に据えるという、かなり潔い美術館だ。

 

大塚国際美術館|徳島県鳴門市にある陶板名画美術館

 

まあ、こちらの美術館にある作品が思いがけず本物だった、なんてことにはならないだろうが、もっと出どころの分からない贋作を扱う場所だったら、「もしかしたら」という期待をしてしまう。

 

なにしろそれだけで、これまでとは価値が激変してしまうのだから。

 

 

むかしむかしに読んだ北森鴻(きたもり・こう)氏の小説、「狐罠」は、古美術品の贋作をテーマにしたミステリーだった。

 

狐罠 (講談社文庫)

狐罠 (講談社文庫)

 

 

読んだのは10年以上前だが、いまだに「贋作」というワードに対して条件反射的に思い出すのだから、そうとう面白かったのだろう。ハナシとは関係ないが、無理やりオススメしておく。

 

しかし、偽物と本物の違いがこれほど分かりにくいのも困りものだ。実際のところ、贋作画家の技量は往年の巨匠を凌駕しかねない。ならばいっそオリジナルで勝負すればいいのに、とは思うものの、それじゃまったく誰も見向きもしない、というのも現実だろう。

 

美術界はとくに、その傾向が顕著だ。

 

そういった意味では、「そっくりさんコンテスト」みたいなノリで、「誰々の絵の贋作を募集、優秀作には賞金○○円!」とかの企画があってもいいと思う。それによって描き手の名前が売れ、資金的な援助にも繋がるのだから。

 

よく言われるように、真似と模倣は別物だ。

オリジナルに敬意を払いつつそれを越える「何か」を表現できたなら、その描き手は支援するに値すると思う。

 

スゴいな、こんなところまで真面目に書いてしまった。

 

最後に、贋作と聞いて思い出した印象深いエピソードをひとつ。

 

サルバトール・ダリだ。

シュルリアリスムの有名な画家ではあるが、絵だけではなく捏ね物での作品も手掛けた。

 

ある日、ひとりの美術商人が、デタラメに捏ねくりまわした粘土を手に、ダリのもとを訪れた。

商人いわく、「ダリさん、これはあなたの作品ですね?」

 

もちろんダリには覚えがない。怒ったダリは商人から粘土を奪い取ると、床に叩きつけてグシャグシャにした。

 

…ここに、ダリのオリジナルが誕生したわけだ。しっかりと、彼の指紋まで残して。

 

 

贋作王ダリ―シュールでスキャンダラスな天才画家の真実

贋作王ダリ―シュールでスキャンダラスな天才画家の真実

 

 

いやはや美術界、オソロシイところである。