高北謙一郎の「物語の種」

読み物としてお楽しみいただけるブログを目指して日々更新中。

水中カメラケース

先日カメラとレンズのお話をしている時、ふとAmazonを覗いていたら、何やら見知らぬ製品が引っ掛かった。

 

富士フィルムの純正品ではないため、完全にノーマークだった。

まさかこんな商品が出ているとは。

 

水中での撮影は、まだしたことがない。

とても興味がある。

しかし、どう考えてもコワイ。

自分が溺れるのがコワイのではない。

カメラが溺れるのがコワイのだ。

なにしろ自分のカメラを水中に入れてしまうのだ。もし途中で水が入り込んできたら、とか考えると、なかなかの度胸が必要になってくる。

 

くわえてこのメーカー、どうも日本語がアヤシイ。どこかの国の言語をフリーソフトかなにかで直訳したかのような文章。そしてそれだけアヤシイ文章のままに、この商品は日本語対応チームがキチンと保証する旨が書かれている。いやはや、まったくもってアヤシイ。

 

しかし、水中での撮影は完全に未知の領域だ。自分がどんなモノをどんな構図で撮影するのか、まるで見当もつかない。

 

ただ、下から空は撮りたいなぁ。風に揺らぐ海面と陽射しの薄片、その先に空を飛ぶ鳥のシルエット…ベタだな、ずいぶん。

 

そういや、月の真下に入ることって、出来ないんだってね。今、ふと海の中から頭上の月を…なんて思ったところで、そういやそんなことを指摘されたことがあったなぁ、と。

 

井戸に落ちた男の話を書いた時のことだ。

井戸の中から見上げた月が…云々の部分で、そんなことは実際には起こり得ないよ、と。

 

う~ん、そういう問題ではないのだがなぁ…

 

たしかにそれは正しい意見なのかもしれないが、ビジュアル的なイメージを喚起する描写を考えると、どうしたって井戸に落ちたなら、その真上に月が来てくれないと、なんともサマにならないじゃないのさ。

…なんて反論はいたしません、ワタシ。

素直に謝っておきました。あぁ、このヒトとは合わないなぁ、とは思ったけど。

 

 

ん? なんのハナシだっけ?

 

水の中での撮影のハナシだ。

 

海の中から頭上の月を撮影したい。

たぶんね、地球上のどこかでは、きっと月の真下に入ることの出来る場所があるはず。せっかく海に潜ってまで撮影するのだから、それぐらいはやってみたいものである。