松本2日目
さて、昨日お伝えした松本旅行の2日目だ。
この日はきちんと観光らしく動いた。
朝、ホテルを出ると、徒歩15分程の場所にある旧開智学校に。
以前、美術系のテレビ番組で観ていたこともあり、今回の旅行で最も行きたいと思っていた場所だ。
令和元年9月30日の官報告示号外第126号(文部科学省告示第70号)により、正式に国宝に指定されました。
明治9年に完成した旧開智学校は地元の大工棟梁立石清重が設計した学校建築で擬洋風建築の代表です。文明開化の時代を象徴する洋風とも和風ともいえない不思議な建築は「擬洋風建築」と呼ばれています。
注目すべきは正面の車寄せ、この一点に擬洋風が凝縮されています。八角の太鼓楼と寺っぽいアーチの窓、青竜の上に雲がわきその上に二人のエンジェルが「開智学校」の旗を掲げています。文明開化時代の日本一の小学校「擬洋風建築」を見学して見てください。1961年から国の重要文化財として指定されていますが、2019年に国宝に指定されました。
と、簡単に別サイトの文章を引用しておくが、当時まったく洋風建築の知識などなかった棟梁が東京に出て見様見真似で造った建物として、非常に興味深い建築物だ。
校舎に入って最初に見た教室が印象深かった。黒板があり、小さな机と椅子が並べられ、壁際にはアップライトの古びたピアノ・・・当時の景色が思い描けた。
各教室がそれぞれに資料室として活用されていて、想像以上のボリューム。どれも興味深く拝見させていただきました。
もうひとつ、印象深かったのは、現在の開智学校の存在だ。旧校舎の近くに建つ現在の校舎もまた、旧校舎のフォルムを意識したツクリ。決して懐古趣味ではなく、それでもきちんと『開智学校』としての存在感を持った現校舎にはとても感銘を受けた。
ところで、旧開智学校の校舎のすぐ近くに、旧司祭館という建物があった。
旧司祭館について
旧司祭館は、明治22年フランス人の神父・クレマンによって建築された西洋館です。外壁の下見板張りは、遠くアメリカ開拓時代の船大工の技法を残す、アーリー・アメリカン様式の特徴を備えた貴重なものです。なお、この司祭館はセスラン神父が明治34年から27年の歳月を費やし、日本で初の本格的な「日仏辞典」を編纂しはじめた建物でもあります。
【旧司祭館】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet
またまた別サイトから引用しておくが、こちらはあまりお客さんの姿もなく、のんびり見学することができた。
そしてね、ここ窓枠の色みが好き。ヴェランダ(「ヴェ」って表記してあった)が良い感じ。なんというか、フォトスタジオとして貸してほしいぐらい。
ほら、こんな感じ。
うん、いい場所。
サテ、開智学校周辺を見学し終わったのち、本当なら松本城も見て回りたかったのだが、混雑がひどかった。そう、今回の旅行で驚いたのだが、思っていた以上に観光客の姿があった。まぁ私と奥さまも出かけているのだからほかの皆さんだって出かけるだろう。しかも、それでも入場制限やらなんやらの規制がある。松本城、入場までの待ち時間、「90分」以上!
いやいや、さすがにそこまで待てません。
そんなわけで私たちはバスで10分ほどの場所にある「中町通り」に。
風情のある通りの左右には様々な店舗が並んでいる。川越とか金沢とかに似ているかな、ぶらぶらと移動しながら楽しんだ。
ところで3枚目の写真、個人的に気に入っている。
家具屋さんの2階だ。たまたまほかのお客さんもおらず、なんとなく向かい側の椅子に座っていた奥さまを撮った。窓からの光の入り方や背景となった額の並ぶ壁とか、そして奥さまの表情とか・・・かなりいい感じ。
今回の旅行ではあまり撮影はしなかったのだが、この1枚が撮れたならもう満足。
はい、そんな感じ。その後もいろいろと歩き回ったし、帰りに松本駅で奥さまがピアノを弾いてくれたり、楽しい旅であった。
誰でも演奏できるピアノ 松本駅自由通路に登場 | 地域の話題 | 株式会社市民タイムス
・・・なんか盛沢山だな。
とりあえず松本への旅、これにてオシマイ。
皆さま、お疲れさまでした!